代表コンサルタント 張 秀久 プロフィール

1978年生まれ。静岡県出身。
クイーンズランド工科大学QUT Business SchoolにてMBA取得。
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英語習得に必死だった2001年、「3か国語を話す人の頭の中ってどうなっているんだろう。」という、ふとした疑問を自ら解決するため第二外国語として中国語の勉強を始める。翌年、中国語の勉強のために始めて訪れた台湾にすっかりハマり、自他共に認める台湾ファンになる。2009年より台湾へ夢を求めて単身台湾に渡り、念願の台湾生活を始める。

台湾では、業界最大手企業のプロジェクトマネージャーとして、台湾企業のための日本とアジア各国への進出支援、国際マーケティング、国際見本市企画などの業務に携わる。

母国である日本と第二の故郷として自身が愛して止まない台湾の架け橋のような仕事をすることが、自分のビジネスキャリアにおける使命だと感じるようになり、2013年11月当サイトの経営母体であるバース国際コンサルティング協会を立ち上げる。
台湾でのビジネス経験と人脈をフルに活かして、台湾進出を目指す中小企業様や個人事業主様のビジネスパートナーマッチング支援を通じて、クライアント様の喜びの声を聞くことに最高の幸せを感じる。

台湾と私

初めて台湾を訪れたのは、2002年の夏、当時私は23歳で、前の年にオーストラリアのワーキングホリデーで友達になった台湾人に会う為の一人旅でした。

台湾に到着したのは、午後7時ごろ。入国審査が通り貨幣の両替所の列に並んでいると、飛行機で隣り合わせだった30歳位の台湾人女性に「台湾初めてですか。」と英語で話しかけられました。彼女の旦那さんが空港まで迎えに来てくれているから、一緒に夕ご飯でもしないか、と言うのです。夜着便なのに、当日の宿も取っていないほどのんきな当時の私は、何も伺うこともなく「OK!」と了解し、彼女とその旦那さんと台北市内の台湾料理レストランでご馳走になりました。私の台湾での始めての食事は、ほんの数時間前に出会った見知らぬ人との楽しい夕食でした。

そんな珍しい台湾の歓迎を受けて12年、今ではすっかり台湾通になり、主要都市はほとんど訪れ、留学も経験し、社員700名程の台湾企業で唯一の日本人として働くこともできました。人脈面でも、教師、警察官、会社社長、レストランオーナー、ビジネスコンサルタント、記者、ラジオDJ、エンジニア、インテリアデザイナー、大学教授など幅広い職業の友人と交流できていることは大きな財産です。

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コンサルティングと私

私がコンサルタントとして社会に貢献していきたいと興味をもつようになったのは、過去に私が経験した3つの出来事によるものです。

ゆび矢印24歳秋 ルーマニアの田舎町での瞬間
当時、私はメーカーで海外資材調達をしていました。
主な出張先は、スウェーデン、フィンランドだったのですが、一度だけルーマニアの田舎町を訪れる機会がありました。そんな田舎町を訪れた理由は、ある日本の商社と現地企業が合同で設立した新会社視察のためです。
それはまさしく、日本企業が現地企業と協力して、海外で新しい価値を創り出し、現地に雇用と経済の活性化をもたらす第一歩に立ち会った瞬間でした。 当時の私には、現地企業の社長と社員が、日本企業と協力して新たな事業を立ち上げる喜びを分かち合っている風景がとても印象的だったのを覚えています。というとも、本当にそこは僻地で、目にするのは、ボロボロの服を着て歩いている親子連れ、風が吹いたら壊れてしまいそうな小さく小汚い住宅、ショーウィンドーを ガラスのかわりに透明のプラスチックを使用している村の商店、という感じだったからです。
その夜、現地社長が招待してくれた夕食会も、地元に洒落たレストランもないため、 社長の知り合いの自宅で開催したこじんまりとした、それでも温かい食事会でした。

その頃は、まだ具体的に「コンサルタント」という言葉が、頭の中にあったわけではありません。しかしながら、この出来事をきっかけに、何か自分の特技を生かして、日本と世界の国々を繋ぐ仕事をしたいと感じた瞬間でした。

ゆび矢印28歳冬 ケーススタディづくし日々での瞬間
この時期オーストラリアのQueensland University of TechnologyのビジネススクールにMBA留学をしていました。毎日毎日朝7時から夜中1時くらいまで勉強づくしのハードで、それでも楽しい日々でした。

マイケル・ポーター、ポール・クルーグマン、クレイトン・クリステンセンなど世界的に著名な教授の論文で経営理論を分析したり、GEの元CEOジャックウェルチやウォルマート創始者のサム・ウォルトンなど世界的に活躍した経営者の自伝を読みあさったり、各企業の経営ストーリーや財務諸表を分析し、組織論、マーケティング、イノベーション、人材管理、コーポレートガバナンスなどの視点から論文を書いたりするのが、楽しくてたまりませんでした。クラスメートと朝から晩まで経営ついて討論することも日常茶飯事でした。このビジネススクールは、世界のビジネススクールの中でも起業学、ニューベンチャー学の分野で、大変著名で、「新規事業を立ち上げるコンサルタント」としてのケーススタディを数多くこなす必要がありました。

そんな生活をしていたある29歳の冬、「新規事業のコンサルタント」として社会に貢献するのが、自分の社会的責任であると感じた瞬間でした。

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ゆび矢印30歳夏 クレイトン・クリステンセン教授の講演会での瞬間
MBA取得後、台湾メーカーでマネージャーとして事業計画書策定業務に携わっていたある日、台湾国立清華大学でハーバード大学のクレイトン・クリステンセン教授の講演会に参加する機会に恵まれました。同教授は、イノベーション学の第一人者で、自身でもコンサルタント会社を立ち上げている、超人気名物教授であり経営者です。一説では、一回の講演費用は1,000万円とも聞いたことがあります。MBA時代に本に書かれた論文を通じて学んできたクリステンセン教授の理論を、直に目の前で聞くことができた瞬間でした。貪欲に知識を欲し、自己価値を高めていくことの大切さを感じた講演会でした。

当時、社員700名程の台湾企業で唯一の日本人として、MBA視点、日本人視点での新規事業計画を策定、経営幹部陣へのプレゼンをするという業務の日々に追われていました。そんな「台湾での事業計画策定業務の経験」にクリステンセン教授の講演会で目覚めた「自己価値向上のための学習に対する貪欲さ」を注入し、さらにレベルアップしたコンサルタントとして、社会的責任を果たしたい、そう感じた瞬間でした。

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